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最高裁判所第二小法廷 昭和41年(オ)848号 判決 1973年3月02日

上告人

右代表者法務大臣

田中伊三次

右指定代理人

貞家克己

外一〇名

被上告人

小野忠昭

右訴訟代理人

太田幸作

日野市朗

佐藤義弥

駿河哲男

竹沢哲夫

外一一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人青木義人、同藤堂裕、同青木康、同豊島徳二、同宮下国弘、同森安剛毅、同兎原誉の上告理由第一点について。

論旨は、原判決が労働者の年次有給休暇の請求に対し使用者の付与行為を要しないと判断したことは、労働基準法(以下、労基法という)三九条の解釈を誤つたものである、と主張する。

よつて按ずるに、労基法三九条一、二項の要件が充足されたときは、当該労働者は法律上当然に右各項所定日数の年次有給休暇の権利を取得し、使用者はこれを与える義務を負うのであるが、この年次休暇権を具体的に行使するにあたつては、同法は、まず労働者において休暇の時季を「請求」すべく、これに対し使用者は、同法三項但書の事由が存する場合には、これを他の時季に変更させることができるものとしている。かくのごとく、労基法は同条三項において「請求」という語を用いているけれども、年次有給休暇の権利は、前述のように、同条一、二項の要件が充足されることによつて法律上当然に労働者に生ずる権利であつて、労働者の請求をまつて始めて生ずるものではなく、また、同条三項にいう「請求」とは、休暇の時季にのみかかる文言であつて、その趣旨は、休暇の時季の「指定」にほかならないものと解すべきである。

趣旨は、また、労基法が同条一項ないし三項において、使用者は労働者に対して有給休暇を「与えなければならない」とし、あるいは二〇日を超えてはこれを「与える」これを要しないとした規定の文言を捉えて、同法は有給休暇を「与える」というに相当する使用者の給付行為を予定しているとみるべきである、と主張するが、有給休暇を「与える」とはいつても、その実際は、労働者自身が休暇をとること(すなわち、就労しないこと)によつて始めて、休暇の付与が実現されることになるのであつて、たとえば有体物の給付のように、債務者自身の積極的作為が「与える」行為に該当するわけではなく、休暇の付与義務者たる使用者に要求されるのは、労働者がその権利として有する有給休暇を亨受することを妨げてはならないと不作為を基本的内容とする義務にほかならない。

年次有給休暇に関する労基法三九条一項ないし三項の規定については、以上のように解されるのであつて、これに同条一項が年次休暇の分割を認めていることおよび同条三項が休暇の時季の決定を第一次的に労働者の意思にかからしめていることを勘案すると、労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して右の時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしないかぎり、右の指定によつて年次有給休暇が成立し、当該労働日における就労義務が消滅するものと解するのが相当である。すなわち、これを端的にいえば、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであつて、年次休暇の成立要件として、労働者による「休暇の請求」や、これに対する使用者の「承認」の観念を容れる余地はないものといわなければならない。

もし、これに反して、所論のように、労働者の休暇の請求(休暇付与の申込み)に対して使用者の承認を要するものとすれば、けつきよく、労働者は使用者に対して一定の時季における休暇の付与を請求する債権を有し、使用者はこれに対応する休暇付与の債務を負うにとどまることになる(論旨は、理由なき不承認は「債務不履行」を構成する、という)のであるが、かくては、使用者が現実に特定日における年次休暇の承認、すなわち、当該労働日における就労義務免除の意思表示をしないかぎり、労働者は現実に休暇をとることができず、使用者に対して休暇付与義務の履行を求めるには、改めて年次休暇の承認を訴求するという迂遠な方法をとらなければならないことになる(罰則をもつてその履行を担保することは、もとより十全ではありえない)のであつ、かかる結果が法の趣旨目的に副う所以でないことは、多言を要しないところである。

ちなみに、労基法三九条三項は、休暇の時期といわず、休暇の時季という語を用いているが、「時季」という用語がほんらい季節をも念頭においたものであることは、疑いを容れないところであり、この点からすれば、労働者はそれぞれ、各人の有する休暇日数のいかんにかかわらず、一定の季節ないしこれに相当する長さの期間中に纒まつた日数の休暇をとる旨をあらかじめ申し出で、これら多数の申出を合理的に調整したうえで、全体としての計画に従つて年次休暇を有効に消化するというのが、制度として想定されたところということもできるが、他方、同条一項が年次休暇の分割を認め(細分化された休暇のとり方がむしろ慣行となつているといえるのが現状である)、また、同条三項が休暇の時季の決定を第一的に労働者の意思にかからしめている趣旨を考慮すると、右にいう「時季」とは、季節をも含めた時期を意味するものと解すべく、具体的に始期と終期を特定した休暇の時季指定については、前叙のような効果を認めるのが相当である。

所論の点に関する原判決の判示は、以上に説示するところと結局同趣旨に出たものと認めることができる。論旨は以上と異なる見地に立つて原判決を攻撃するもので、原判決に所論の違法はなく、論旨はすべて採用しえない。

同第二点について。

論旨は、本件における被上告人の休暇請求の態度は使用者の時季変更権の行使を妨害したもので、休暇請求の権利行使の方法が信義則に反し、権利の濫用であるにもかかわらず、原判決がその旨の上告人の主張を排斥したのは、民法一条二、三項および労基法三九条の適用を誤つたものである、と主張する。

労基法三九条三項に基づ労働者の休暇の時季指定の効果は、使用者による適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであり、また、右の時季変更権が、客観的に同項但書所定の要件が充足された場合に限つて使用者に生じうるものであることは、第一点につき判示したとおりである。しかるに、本件において原判決の確定するところによれば、被上告人所属の事業場たる白石営林署において、問題の当日に休暇の時季指定をしたのは被上告人ほか一名があるのみで、被上告人が本件の年次休暇をとることによつて同署の事業の正常な運営に支障を与えるところもなく、したがつて使用者たる同営林署長に時季変更権がなかつたというのであるから、その権利行使の妨害ということも、またありえない筋合である。

以上、使用者に時季変更権の存しない本件においては、所論被上告人の時季指定権行使の態様いかんは、本件の結論に影響せず、論旨はすべて採用しえない。

同第三点について。

論旨は、原判決が、年次有給休暇の利用目的がどのようなものであつても、休暇請求が違法となることはありえないと判断したのは、民法一条二、三項および労基法三九条三項の解釈適用を誤つたものである、と主張する。

年次有給休暇の権利は、労基法三九条一、二項の要件の充足により法律上当然に労働者に生ずるものであつて、その具体的な権利行使にあたつても、年次休暇の成立要件として「使用者の承認」という観念を容れる余地のないことは、第一点につき判示したとおりである。年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である、とするのが法の趣旨であると解するのが相当である。

ところで論旨は、休暇の利用目的に関連して、いわゆる一斉休暇闘争の場合を論ずるが、いわゆる一斉休暇闘争とは、これを、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するものと解するときは、その実質は、年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならない。したがつて、その形式いかんにかかわらず、本来の年次休暇権の行使ではないのであるから、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえず、一斉休暇の名の下に同盟罷業に入つた労働者の全部について、賃金請求権が発生しないことになるのである。

しかし、以上の見地は、当該労働者の所属する事業場においていわゆる一斉休暇闘争が行なわれた場合についてのみ妥当しうることであり、他の事業場における争議行為等に休暇中の労働者が参加したか否かは、なんら当該年次休暇の成否に影響するところはない。けだし、年次有給休暇の権利を所得した労働者が、その有する休暇日数の範囲内で休暇の時季指定をしたときは、使用者による適法な時季変更権の行使がないかぎり、指定された時季に年次休暇が成立するのであり、労基法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものであるからである。

本件において、被上告人所属の事業場たる白石営林署の問題の当日における事業の運営の情況は、第二点につき判示したとおりであつて、気仙沼営林署における被上告人の行動のいかんは、本件年次休暇の成否になんら影響するところはないものというべきである。

原判決に所論の違法はなく、論旨はすべて採用しえない。

同第四点について。

論旨は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ)か、被上告人か本件の年次有給休暇を争議行為ないし違法な団体行動に利用する目的で請求したものではないと判断したのは、経験則違背、採証法則違背の違法がある、と主張する。

しかし、所論は、がんらい原判決の傍論を非難するにすぎないものであるのみならず、原判決挙示の証拠によれば、原審の認定判断は相当として肯認することができ、その過程にも所論の違法を見出だし難く、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するにすぎないことが明らかである。論旨はすべて採用しえない。

同第五点について。

論旨は、原判決が本件につき労基法三九条三項但書の事由が認められないと判断したのは、同法の解釈適用を誤つた違法があると、と主張する。

論旨は、被上告人が本件年次休暇を利用して気仙沼営林署の正常な業務の運営を阻害したものであること、あるいはその目的で本件休暇の時季指定をしたものであることを前提として、原判決に前記の違法があるというのであるが、かかる事実の認められないことは、第四点につき判示したとおりである。したがつて、論旨はその前提を欠くものであるのみならず、労基法三九条三項に関するその余の所論の理由のないことは、すでに第三点につき判示したとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨はすべて採用しえない。

よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(村上朝一 岡原昌男 小川信雄)(色川幸太郎は、退官につき署名押印することができない)

上告代理人青木義人、同藤堂裕、同青木康、同豊島徳二、同宮下国弘、同森安剛毅、同兎原誉の上告理由

第一点原判決が、労働者の年次有給休暇の請求に対し、使用者の付与行為を要しないと判断したことは、労働基準法(以下「労基法」という。)第三九条の解釈を誤つたものであり、この点において、原判決には、判決に影響をおよぼすこと明らかな法令の違背がある。

(一) 原判決は、「労基法第三九条第一、二項の要件が充た場合には、法の定める労働条件の一として、使用者は一定日数の労働義務を免除し労働者を就労から開放することを国家から一方的に義務づけられるのであり、反面、労働者はそれによつて当然一定日数の労働義務を免除され、その日数の就労から開放されるという一種の種類債権を所得することになる」(原判決七丁裏、八丁表)と判断し、労働者の年次有給休暇の権利を一種の種類債権とみている。

ところで、原判決が種類債権ということばを用いたのは、指定権の行使によつて休暇日が特定する特徴をとらえ、その限りで、いわば、比喩的な意味に用いたものと解される。さもなくば、種類債権といえでも債務者の給付行為を否定しえないものであるから、この場合そのような理解は論理的矛盾を犯すものといわざるをえないからである。現に、原判決は、債務者すなわち使用者の給付行為を予定していないばかりか、「この種類債権は一定日数の労働日が個々に指定されることによつてその目的物が特定され、その特定された日が有給休暇となつてその日の労働義務は消滅することになる」(原判決八丁表)と判示して、指定による特定と同時に、後に何らの債務者の給付行為を残すことなく債権は消滅するとみている。学説のうちにも原判決のように「一種の種類債権」という概念を用いて説明しているものがあるが(法律学全集・有泉亨・労働基準法三五四頁参照)、この学説は原判決と異り、「労働義務免除という使用者の意思表示を必要とする余地はない」というような断定をさけ、「いつ有給休暇がとられるべきかは労働者の意思によつて決まるのが原則である。しかし、この基本原則が守られている限り、有給休暇の附与についてそれぞれの事業場に成立する慣行や、労働者の意思をたしかめるための使用者の措置をも否定するものではないと考える。」(同書三五五頁参照)とされているのは休暇請求に対しては、時季変更権の行使ならびに事業場に成立する慣行や労働者の意思をたしかめための使用者の措置が可能であることから、直ちに形成的に労働義務が消滅するとみることが困難であるためと思われる。したがつて、この場合、一種の種類債権とみること自体にすでに問題があるのみならず、この概念をもつて、原判決のように「有給休暇請求権と言うのは有給休暇日の指定権を意味するものと解せられるのである。而して、この指定権は労基法の規定によつて労働者に附与されているのであり、この指定によつて当該指定日の労働義務は消滅」(原判決一〇丁表)することの理論的説明をすることは相当でないといわなければならない。

それはともかくとして、原判決は、指定権の行使による形成的効果の発生を認めているが、この点、いわゆる形成権説と同様、以下述べるとおり法令の解釈に誤りがあるというべきである。

(二) 労働者の一方的行為によつて特定の日が年次有給休暇となり、その日の労働義務が消滅するという考え方は、まず労基法第三九条第一ないし三項に共通して規定されている「使用者は……与えなければならない」という文理に反する。特に同条第三項ただし書の「請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えることができる」という文理からすれば、法は「与える」に相当する使用者の給付行為を予定しているとみるべきであり、また「与えなければならない」という表現を労働者に対する義務として受けとる限り、義務を伴うはずのない形成権を観念する余地はない。このような法の文理にしたがつて、かつ、労働者の利益を考慮するとともに事業の運営を決定し事業の正常な運営に重大な関心を有する使用者の利益をも考慮に入れてその間の利益調整をはかつた立法の趣旨からすれば、法は労働者の休暇請求があつた場合、請求にかかる休暇の成立、すなわち労働義務の消滅に先立ち、休暇を請求時季に付与することの適否――事業の正常な運営を妨げることになるかどうか――の判断およびそれに基づく意思表示をなす機会を与えているとみるべきである。

もとより、「与えなければならない」のであるから与えるか、与えないかの自由が使用者にあろうはずがなく、請求が権利濫用にわたる場合とか、請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合には請求時季に与えないことができるけれども、このような正当事由がないにもかかわらず請求時季に与えないと債務不履行を構成し労基法第一一九条により罰せられることもあるのである。もしかりに、労働者の一方的行為によつて労働義務が消滅するという見解をとるとすれば同条第一項掲記の同法第三九条違反の罪も同条第三項についてはほとんど成立する余地をなくするものであることは、すでに指摘されているところである(福岡地裁、昭和三七年一二月二一日判決、下刑集四巻一二号一〇九頁)。原判決は、「労働者の権利行使、若くは有給休暇を現実にとることが使用者によつて事実上妨害されるということはあり得ること」(原判決九丁表)であるとし、この使用者による「事実上の妨害行為」をもつて同条第三項の構成要件たる「有給休暇を労働者の請求する時季に与えない」行為の内容としているが、「事実上の妨害行為」というのは例えばどういうものを指すのかわからないけれども、脅迫(二年以下の懲役または五〇〇円(罰金等臨時措置法第三条によりその五〇倍)以下の罰金)あるいは、暴行(二年以下の懲役もしくは五〇〇円(罰金等臨時措置法第三条によりその五〇倍)以下の罰金または拘留もしくは科料)等による妨害の場合には刑法によつて処断すれば足り、これに六ケ月以下の懲役または五〇〇〇円以下の罰金を規定する労基法第一一九条を競合させる必要はないと思われるし、軽犯罪法所定の態様による妨害というのも思いあたらない。

すると「事実上の妨害行為」というようなものをもつて構成要件とすることは内容不明確なものとなるかもしくは無内容の空文に帰してしまい、結局、労基法第三九条第三項、第一一九条は、形成権説では説明のつかないものになるのである。

(三) 上告人が本件において従来主張してきたいわゆる請求権説についても、多くの批判があるところであるが、しかし、原判決のように、労働者の請求によつて、直ちに労働義務消滅という形成的効果を生ずるとすることには、右に指摘したような法解釈上の難点があるのである。問題は、有給休暇制度の立法趣旨、すなわち労働力再生産のための労働者の利益と事実運営の正常性の確保という使用者の利益との調和を考慮し、さらに理論構成の面においては、休暇の請求から時季変更権の行使に至る実務上の手続過程を総合的に勘案してこれを理解すべきであろう。そうだとすれば、少くとも次のように解すべきであると思うのである。

当該労働者が一年に幾日の有給休暇日を具体的権利として有するかは労基法、就業規則等によつて定まるところであるが、現実に特定時季の労働義務が消滅するためには、まず、労働者の時季指定がなければならないし、この時季指定権の行使を一般に、有給休暇請求権の行使とよんでいるのである。そして、時季指定権の行使がなされれば、原則として、その時季に休暇が与えなければならないのであるが、しかし時季指定権の行使があつたからといつて、それだけで直ちに特定日の休暇が確定し、当然に労働義務が消滅するものではない。このことは、法が使用者の時季変更権を認めていることから明白なところであり、もし形成権説ないし原判決のごとく解するとすると、一旦消滅した労働義務が、時季変更権の行使によつて復活するということになり、このような復活理論は、時季変更権の行使が、原則として、特定休暇日以前になされなければならないことと思い合わせれば、実益のない技巧的な解釈といわざるをえないのである。

しかして、時季指定権を行使しただけでは特定日の休暇が確定しないということは、使用者が時季変更権を行使しいことが確定してはじめて、特定日の休暇が確定することを意味するのである。いいかえれば、時季指定権の行使による特定日の労働義務の消滅、すなわち有給休暇をえられるという法律効果は、使用者が時季変更権を行使しないという消極条件を停止条件として発生するのである。そして、この時季変更権を行使しないということは、通常、使用者の明示または黙示の承認という行為によつて明確化されるわけであつて、したがつて、このような承認があつてはじめて特定日の労働義務が消滅するのを原則とすると解しても、決して不当な結論といわれるべきではなく、かえつて手続過程の実相に照応する妥当な理解というべきであろう。

ところが、、本件においては、原判決の認定するように、被上告人の休暇請求に対しては、明示の承認は与えられず、他方、被上告人は退庁間際に休暇請求をなしたこと(原判決一二丁裏)および被上告人の退庁後に白石営林署の管理者がとつた行動(原判決一三丁表、裏)を合わせ考えれば、黙示の承認があつたと認められるべき事案でないことも明らかなところである。したがつて、被上告人の休暇請求、すなわち時季指定権の行使について、時季変更権を行使しないという事実が確定したということは到底いえないのであるから、被上告人の昭和三三年一二月一〇日および一一日の労働義務は消滅しなかつたといわなければならないのである。そうだとすれば、有給休暇として右両日の賃金の支払いを求める本件訴訟においては、使用者側が被上告人の休暇請求に対し承認を与えなかつたことの当否はともかくとして、かかる事実関係のもとにおいては、被上告人勝訴の判決をなしえない筋合いである。要するに、原判決は、有給休暇に関する労基法第三九条の解釈を誤つた違法があるものといわなければならない。

第二点原判決が、その認定にかかる被上告人の本件年次有給休暇の請求のしかたをもつて、ことさら「労働者の年次有給休暇の請求は労基法第三九条第三項ただし書きの事項を表明する時間的な余裕を使用者に与えるようなしかたでなされねばならない」との要請に反しているものではないと判断したことは、民法第一条第二、三項および労基法第三九条の適用を誤つたものであり、この点においても判決に影響をおよぼすこと明らかな法令の違背がある。

本件においては、原判決認定の事実からも明らかなように、被上告人は被上告人の所属する白石営林署の経営課長に対し、本件年次有給休暇の請求をなしたとき「だめだ」といわれたのであるから、承認権者たる同営林署長による時季変更権の行使があり得ることは当然予測できたはずであるし、そして経営課長が被上告人より「だめでも行く」といわれて時季変更権者たる営林署長に伺をたてるため署長室に入つたのを承知しているのであるから、暫時、時季変更権行使の有無あるいはどのように行使されるかを待つべきであつたし、実際にも待つことは不可能ではなかつた。

しかるに、被上告人がしたように請求後直ちに退出し行方をくらましたのでは、時季変更権者が時季変更の前提となる年休請求者の意見を聞くことができなくなるばかりか、時季変更の意思を年休請求者に伝達しようにもできないこととなるのであつて、このような挙にでた被上告人の請求態度は白石営林署長の時季変更権の行使を妨害したものといわねばならない。そして、そのために時季変更権の行使も十分意をつくし得る口頭によることができず、やむなく推測のあて先(被上告人が立寄るであろうと思われた仙台にある同人の実家と気仙沼営林署)にあてた電報(甲第一号証の一)によらざるを得ないこととなり、そしてまた、被上告人において本件年次有給休暇請求当日(昭和三三年一二月九日)出張していたのであるから、翌一〇日(年休請求の目的日)以降早急に白石営林署内においてなすべきその出張にかかわる報告事務、付帯事務を有していたので、この事務を執行させるための業務命令もまた電報(甲第一号証の二)によらざるを得ないこととなつたのである。

本件の休暇請求はかような事情と経過のもとに行なわたのであるが、原判決は、この休暇請求の方法が信義則に違反するか否かを判断するにあたり、使用者があらかじめ不承認もしくは時季変更の意思を決意しているときには、使用者に対して時季変更権を行使できる十分な時間的余裕を与える必要がない旨判示する(原判決一四丁裏、一五丁表)。しかし、使用者においていかに時季変更の意思が固まつているからといつて、表示されなければ時季変更権の行使にならないのであるから、使用者がその表示をする機会を奪つていいということにはならない。被上告人において請求直後退出し、使用者の時季変更の意思の表示の機会を奪つている以上、その権利行使はとうてい信義に則し誠実に行なつたものと解することはできない。そして使用者の時季変更意思が固つていたことと、休暇請求の権利行使の方法が信義則に違反するかどうかということは全く別個の問題であつて、前者をもつて後者を律することができないことは経験上当然のことである。原判決のこの点に関する判断は失当といわなければならない。

次に、原判決は、「労基法第三九条第三項但書の事由が客観的に存在しない限り、当該指定日の労働義務はこの指定だけによつて消滅することになる(即ち休暇日となる)。のであつて、本件においては後記のとおり、右但書の事由が認められない場合であるから、もともと使用者が行使すべき時季変更権なるものは存在しないものというべく、従つて被控訴人がそのように有給休暇の請求後直ちに退庁してしまつたからといつて、それが控訴人の言うように時季変更権の行使を妨害するものであるとか、権利の濫用であると言うのは当らない。」(原判決一五丁表、裏)と判断されているが、この点においても原判決は本来別個の問題を混同ないし関連付ける誤りをおかしているものといわざるをえない。けだし、使用者に、客観的に時季変更権が認められるかどうかの問題は、休暇請求の権利行使の方法が不当であるかどうかの問題とは関係のない事柄だからである。しかるに、原判決が使用者に時季変更権がないことの故をもつて、本件休暇請求の右権利行使の方法が権利濫用でないとしたことは不当な判断というべきである。

なお、原判決は、年次有給休暇の「請求」を「指定」の意味に解しているが、指定権説のうちにも、「その年休を付与すべき時季を“指定”する労働者の意思表示を意味する。」とし(吾妻光俊注解労働基準法四七九頁参照)、「労働者としては、指定して時季に休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げるかどうかを考慮する時間的余裕を使用者に与えるようなしかたで、休暇時季の指定をしなければならない。かかる余裕を与えない場合には、使用者の時季変更の抗弁が、労働者が年休をとつたと称して出勤しなくなつた後になされたとしても、それを有効と認め、休暇に伴う労使間の民事上の権利義務関係(労働義務の休暇期間中の消滅および年次休暇手当請求権の発生)は生じないものと解すべきである。」(同書四八〇頁、なお峯村光郎「公労法における争議行為の禁止と実力行使」法学研究三三巻一二号七三頁、大阪地裁昭和三九年三月三〇日判決判例時報三八五号三三頁)とする見解があり、原判決もこのような所説を否定するものではないであろう。

そして、本件においては、前記のように、被上告人が有給休暇を請求した直後使用者の時季変更の意思の有無およびその内容を確めることなく退出しているのであつて、かような権利行使はまことに不当であつて民法第一条第二項に違反し、同条第三項に該当する場合であるから、労基法第三九条所定の「請求」の効力を有しないとみるべきである。しかるに原判決は、前記のような理由のもとに本件年次有給休暇の請求もまた、同条項所定の「請求」に該当する適法なものであると判断したことは、法令の適用を誤つたものといわねばならない。

第三点原判決が、有給休暇の利用目的がどのようなものであつても休暇請求が違法となることはあり得ないと判断したことは民法第一条第二、三項および労基法第三九条第三項の解釈および適用を誤つたものであり、この点において判決に影響をおよぼすこと明らかな法令違背がある。

原判決は、「就労から開放されるという本質において有給休暇もまた一般の休日と異るところはない」(原判決一〇丁表)、また「就労から開放される有給休暇日において、労働者がこれを如何なる用途に利用するかは、一般の休日と同様に、もとより労働者の自由である」(原判決一〇丁裏)とし、さらに休日における労働者の違法不当行為に対しも懲戒もしくは刑罰等の対象として問擬すれば足り、同様、有給休暇における労働者の違法不当行為に対しも懲戒もしくは刑罰等の対象として問擬すれば足りるという趣旨のことを述べている(原判決一一丁裏)。なるほど、原則論としてはそのとおりであろうが、休日の場合には、それは請求をまつて与えられるものでなく、当該日に賃金請求権を伴うものでないから、懲戒、刑罰等以外の法的考慮は無用なことであろう。ところが有給休暇の場合、その時季は請求をまつて定まるものであるし、ことに当該日に賃金請求権を伴うものである。原判決は「本質において有給休暇もまた一般の休日と異るところはないのである。唯、異るところは、それが有給であるという一点であるが……このことをもつて有給休暇の本質が右と異るものであると言うことは出来ない。」(原判決一〇丁表、裏)、といつているが、しかし、有給であるかどうかといつた点がまさに本質を左右するものであると考えられるのである。すなわち、有給とは使用者の負担を意味し、しかも、労働という反対給付なくして賃金を支給することは、使用者が無償的な負担を負うということである。この点からして、特定の企業に雇傭されている者が当該企業を阻害する目的のために有給休暇を使用してはならないということは、条理上当然のことといわなければならない。この点について、多くの下級審の裁判例(前掲福岡地裁判決。京都地裁昭和三五年三月二五日判決、行集一一巻三号七八六頁。東京地裁昭和三七年四月一八日判決、下刑集四巻三・四号三〇三頁。大阪地裁昭和三七年六月八日判決、労民集一三巻三号七三七頁。同昭和三九年三月三〇日判決、判例時報三八五号三三頁。仙台地裁昭和三九年一二月一一日判決、労民集一五巻六号一二八頁等)は、いわゆる一斉休暇闘争の場合であるが、有給休暇を争議手段に用いることは許されず、本質的に有給休暇制度と争議行為が相容れない性質のものであることを承認し、これは、裁判上ほぼ確定した見解といつてよいと考えられる。そして、その趣旨は、使用者の業務の運営を阻害しながら、他方使用者に対して賃金を請求するということは許されないとするところにあるわけであるから、このことは右のような一斉休暇闘争の場合に限られるべきものではなく、それ以外の当該使用者の業務を阻害する組合活動等の行為についても等しく同様に解せらるべきである。そして本件における被上告人の有給休暇の請求が、自己の所属する白石営林署の業務を阻害しようとするものではないとしても、白石営林署と同一企業の関係(白石営林署における事業も気仙沼営林署における事業も国有林野事業の有機的構成部分をなすものである。)にある気仙沼営林署における業務阻害の闘争を支援する目的のもとになされたとすれば、これまた同一使用者の業務を阻害するために有給休暇を利用しようとするものにほかならないから、右の場合と区別すべきいわれはない。はたしてそうだとすれば、かかる目的による有給休暇の請求は、有給休暇請求権に認容される権利範囲を逸脱し、権利の濫用として許されないものといわざるをえないのである。

しかるに、原判決は、この理を無視し、前記のように有給休暇の利用目的がどのようなものであつても休暇請求は違法でないと断定していることは、法の解釈を誤つた失当な判断といわざるをえない。          <以下略>

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